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三代 市川團十郎
夭逝した團十郎(1721〜1742)

 享保6年(1721)、初代團十郎の高弟三升屋<みますや>助十郎の子として生まれる。
 享保10年(1725)、5歳で二代目團十郎の養子となる。

 享保12年(1727)、中村座の顔見世に市川升五郎と名のって初舞台(7歳)。

 享保20年(1735)、市村座の顔見世で三代目市川團十郎を襲名(15歳)。

 寛保元年(1741)、養父の海老蔵(二代目團十郎)とともに大坂へ上ったが、すぐに発病して江戸へ戻る(21歳)。

 寛保2年(1742)2月27日没(22歳)。

 その死を悼み海老蔵(二代目團十郎)は「梅散るや三年飼ふたきりぎりす」の句を手向けた。

 後継者としての将来を嘱望されながら、22歳の若さで夭逝した三代目は、ついに役者としての大成を見ることがなかった。その予想外の早過ぎる死により、以後十年余りの間、市川團十郎の名跡は空白期間を持つことになる。

テキスト:服部幸雄著『市川團十郎代々』(講談社刊)より
錦絵:早稲田大学演劇博物館蔵 作品番号201-0504